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歴史年表

日本のカトリック教会の歴史

1549(天文18) フランシスコ・ザビエル鹿児島に上陸
1563(永禄6) 大村純忠洗礼を受ける(日本初のキリシタン大名の誕生)
1582(天正10) 4人の少年使節がローマへ出発する[天正少年遣欧使節]
1585(天正13) 天正少年使節が教皇グレゴリー13世に謁見する
1587(天正15) 豊臣秀吉がキリスト教布教禁止の命令を出し、宣教師の国外退去を命じた(伴天連追放令)。高山右近の所領が没収される
1597(慶長2) 長崎・西坂の丘で26人のキリスト教徒(6人の外国人宣教師を含む)が殉教(日本二十六聖人の殉教)
1613(慶長18) 徳川幕府が全国にキリスト教禁教令を発布
1614(慶長19) 高山右近がフィリピン・マニラに追放される。京都、長崎の教会が破壊される
1622(元和8) 宣教師や信徒ら55名が長崎で処刑される(元和の大殉教)
1627?(1628? 1629?)(寛永4・5・6年?) 「踏絵」が始まる(キリスト教徒摘発のためにキリストやマリアの像〈レリーフ〉や絵を踏むことを強制した)
1637(寛永14) 島原の乱が起こる(~1638)
1790(寛政2年) 浦上一番崩れが起きる(長崎の浦上で潜伏キリシタンの摘発)
1839(天保10) 浦上二番崩れが起きる
1856(安政3) 浦上三番崩れが起きる
1856?(1857? 1858?)(安政5・6・7?) 長崎奉行が「踏絵」を廃止する
1862(文久2) ローマで日本26殉教者が列聖される
1865(元治2) 長崎・大浦天主堂の建立。浦上の潜伏キリシタンの子孫が大浦天主堂を訪ねて、プチジャン神父に信仰を告白する(信徒発見)
1867(慶応3) 日本で殉教した205人がローマで福者として列福される。浦上四番崩れが起きる
1868(明治1) 明治政府はキリシタン禁制を引き継ぐ。浦上村のキリスト教徒114人が3藩に分かれて流罪となる
1870(明治3) 3000人以上の浦上村のキリスト教徒が捕らえられ、21の藩に分かれて配流される(~1873)
1873 (明治6) キリシタン禁制の高札が撤去される(キリスト教信仰の暗黙の承認)。配流されていた浦上村のキリシタン信徒は釈放され、帰還する
1889(明治22) 大日本帝国憲法発布により信教の自由が明文化される。日本全国の教会で感謝祭のミサが執り行われる
1945(昭和20) 長崎に原爆が投下される(広島投下から3日後)。浦上天主堂は崩壊する
1959(昭和34) 浦上天主堂が再建される
1981(昭和56) 教皇ヨハネ・パウロ2世が初来訪(東京、広島、長崎)
2019(令和元年) フランシスコ教皇来日 (東京、長崎、広島)

注:日本全国で他にも多くのキリスト教迫害があり、諸説あるが殉教者は1万人から2万人に及んだとされる。

典拠:カトリック中央協議会(CBCJ)ウェブサイトを参考にカロル日本語字幕版DVD製作委員会にて年表化・一部内容追加