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「聖ヨハネ二十三世 平和の教皇」

カトリック長崎大司教 髙 見 三 明

takami このDVDは、第二バチカン公会議以前のカトリック教会の状況を知り、公会議の意義を理解するために必見の物語(ドラマ)です!
 二部構成になっていて、第一部は教皇ピオ十二世の後継者を選ぶコンクラーベの経緯を軸に、ロンカッリの少年時代以後の生涯を回想する形で展開し、教皇ヨハネ二十三世の誕生で終わります。第二部は、教皇としてのわずか4年と7カ月余の活躍を語ります。それは、第二バチカン公会議開催から、回勅『地上の平和』を公布しておよそ55日後に亡くなるまでを描いています。
 第一部の物語は、ベネチア総大司教のロンカッリ枢機卿を、その秘書の神父が急ぎ足で、あちらこちらと探し回るところから始まります。ご当人はといえば、ご自分の石棺の品定めをしておられました。応対した従業員に、「これはちょっと窮屈ですね」などと話しながら。そこへ秘書が走って来て、息を切らせながら「ピオ十二世教皇様が亡くなられました。すぐバチカンに行かなければなりません」と告げます。すでに死の準備をしておられた方が、教皇に選ばれ、固い伝統のカトリック教会に新しい息吹を与えることになるのです。
 2014年4月27日にフランシスコ教皇によって列聖されたヨハネ二十三世教皇は、1881年11月25日、北イタリアはロンバルディア州ベルガモ県の片田舎ソット・イル・モンテの農家で13人の兄弟姉妹の4番目で長男として生まれました。「田舎の貧しい司祭」を目ざしたアンジェロ・ジュゼッペ・ロンカッリ少年は、やがて、何よりも「こころの平和」を大切にする司教の秘書を務めます。そして、1925年以後ソビエト連邦のブルガリアで教皇巡察師と初代教皇使節、イスラム世界のイスタンブール教皇使節、カトリック国フランスの首都パリで教皇大使を務め、1953年ベネチア総大司教に任命されました。そして、ピオ十二世教皇の後継者として有力な候補者がひしめく中、1958年10月28日、11回目の投票で77歳のロンカッリ枢機卿が選ばれました。まさに神の摂理でした。
 第二部では、教皇としての短いが、しかし大変内容の濃い働きが語られます。新教皇は次の教皇までの“橋渡し役”に過ぎないなどと陰口をたたく人たちもいたそうす。しかし、即位3カ月後に、公会議開催を公表されたのです。教皇に選ばれるまでの経歴は一見華々しく見えますが、実際には第二次世界大戦もあり、さまざまな貴重な体験を積み上げた年月でした。そのおかげで、そして聖霊の照らしを受けた結果、カトリック教会が、自らを刷新し、世界の中で福音を告げ知らせ、人々に奉仕するためには、公会議を開くことが必要だという確信を得られたのです。1962年12月に最初の会期を終え、翌年4月11日最後の回勅『地上の平和 ― パーチェム・イン・テリス』を発布した後、御父のもとへ帰られました。この聖なる教皇が教会に与えた対話と平和の道筋を、後継者の福者パウロ六世教皇、聖ヨハネ・パウロ二世教皇、そして現教皇が継承し発展させています。


聖ヨハネ二十三世 ― 平和をあきらめなかった教皇

法政大学総長 田 中 優 子

tanaka

 教皇様は、世界で10億人とも言われるカトリック教徒の頂点に立つ。そのひとりであった教皇ヨハネ二十三世は、世界についての理想をもっていた。それは「平和」である。
 教皇在職の時代は、歴史上未曾有の悲劇となった第二次世界大戦は終結したものの、東西の冷戦が続き、キューバ海域は、人類の存亡さえも危うくする核戦争の一触即発の危機にあった。核でこの世界が消え去るのか否か。キューバ危機の際、その危機を回避できたのは、この教皇の力も大いに働いたという。改めて、カトリックの頂点であるだけでなく、世界を変える力をもつ重要な存在であることを認識させられた。それにしてもこの映画の、世界破滅の危機に近づく緊迫感には、手に汗を握った。
 教皇様はバチカンという国家のいわば大統領のようなもので、カトリック教徒にとってはもっとも神様に近い存在…と私たちは思いがちである。教皇ヨハネ二十三世も、「教皇が指をパチンとならせば、みな従うと思っていた」が、全くそうではなかったと語っている。二千年の伝統を守り通してきた宗教界の中で保守勢力に囲まれながら、時代に即しつつ理想に向かって重要な役割を果たしていくことの、いかに困難なことか。しかし、教皇はあきらめなかった。
 教皇は殺人犯や重罪犯の刑務所に赴き、彼らに言葉を与えた。ソ連とソビエト人を非難しようとする枢機卿たちに、非難ではなく対話を提案した。暴力に対して非暴力を提示した。そして戦争を回避し平和を実現するために「教会は人の心に語る言葉を発明しなければならない」と、400年ぶりに、第二バチカン公会議を招集したのである。これはカトリックの刷新のみならず、すべてのキリスト教会の一致を目指す歴史の大きな転換点だった。それは、この教皇様が生涯をかけた目的、つまり「平和」のためであった。
 平和の実現者として2014年に教皇ヨハネ・パウロ二世と共に列聖されたこの教皇様は、前教皇ピオ十二世の逝去の後、コンクラーベ(教皇選挙)で、なかなか後継者の決まらない中、高齢でおそらく在位期間も短く、次の候補者に橋渡しするだけの「中継ぎ教皇」として選ばれた。そのあたりの駆け引きもなかなか面白い。
 ところが、保守的な枢機卿たちの期待をことごとく裏切り、短い5年という在位期間の間に、ひたすら「平和」を訴え、そのためにあらゆることを刷新した。DVD『カロル』で見るような、空飛ぶ聖座といわれ、日本にも来られ熱い感動を与えた教皇聖ヨハネ・パウロ二世という偉大な教皇様がのちに誕生したのも、この第二バチカン公会議という刷新あってのことだったと今納得できる。
 ジュゼッペ・ロンカッリが教皇ヨハネ二十三世になるまで、彼は戦争という現実と向き合い、自らのやり方を通した。それこそが第二バチカン公会議に結実したのである。全編を通して、平和への絶え間ない努力こそが真に危機を救うのだ、という「意志」が伝わってくる。今こそ必要な映画である。


教皇ヨハネ二十三世の存在を再確認

映画監督 千 葉 茂 樹(日本映画大学・特任教授、前シグニスジャパン会長)

chiba 前から知りたいと思っていたことが今回叶えられた。感謝!ヨハネ二十三世こそ、第二バチカン公会議を召集した教皇なのだ。DV D「ヨハネ二十三世 平和の教皇」がその謎に答えてくれる。
 映画の構成は、ベニス総大司教のロンカッリ枢機卿が教皇の選出のためバチカンに向かう場面から始まり、回想で農家の少年が神父となり励む司祭時代。当時ヨーロッパ社会は、農業社会から工業と産業の盛んな世界に急変し、労働運動と教会の変化に対峙する。
 新たな貧困層への理解=ドラマとして若い母と赤ん坊のエピソードが司祭の目を開かせる。また、1925年ブルガリアに赴任したバチカンの特使となった彼は、地震災害地でギリシャ正教の主教を救出し「一致の道こそ大切でしょう」と協力を誓い合う〜感動的なエピソードに胸打たれる。
 やがて、凶暴化したナチス・ドイツがユダヤ人たちを絶滅収容所へ向かわせるところを巡礼の列車として救出に成功するなど〜これらのエピソードが、バチカンの教皇選出で大きく評価されていく。コンクラーベ11回の結果、教皇ヨハネ二十三世となった彼は第二バチカン公会議の開催を敢行したのである。
 教皇ヨハネ二十三世が遭遇した東西冷戦のキューバ危機(1962年)に、アメリカのケネディ大統領とロシアのフルシチョフ首相あてに平和を訴えて遂に世界平和を実現する。フルシチョフは教皇と同じく貧しい農家の出身だった。
 この教皇ヨハネ二十三世の命がけの業績を知ったとき、私は第二バチカン公会議開催の意義に神の啓示をみることができたのだ。現代人は改めて教皇ヨハネ二十三世の存在を知る機会をもつべきである。


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